音楽は数学。
そう言うと、少し堅く聞こえるかもしれない。
音楽は楽しむものだと思っている人からは、きっと反論もあるだろう。
けれど、この言葉には、ひとつの真理が隠れている。
音の並びには、必ず秩序がある。
その秩序が、わたしたちの心の奥で“美しい”と感じられるのは、
音の中に、数の静かな呼吸が宿っているからだ。
古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、弦の長さの比から音程の調和を導いた。
音楽の父と呼ばれるバッハは、対位法という数理の上に、祈りのような旋律を築いた。
相対性理論のアインシュタインは、バッハをこよなく愛したという。
彼は「バッハの音楽を理解することは、自然法則を理解することに近い」と語ったとも伝えられる。
音楽の中にある数は、単なる理屈ではない。
それは、世界を保つための法則であり、
その法則は、人の心の中にもひっそりと息づいている。
日常の中で耳にする音や言葉が、
どこか懐かしく、あるいは優しく響く瞬間。
それは、数の調和と感情の振動が、同じ波に重なる一瞬なのかもしれない。
理数系の人ほど、バッハを好む。
それは感情ではなく、構造の中に祈りを見いだすから。
音楽とは、秩序に宿る感情の証明である。
音楽が“時間の芸術”と呼ばれるのは、
それが瞬間を流し去るものではなく、
秩序が時間を導いているからだと感じるから。
数が冷たくなく、感情が不安定でないとき、
そこには、かすかな均衡が生まれる。
たとえば、夜明け前の静けさ。
冬の空気を渡る鐘の音。
あるいは、心を整えるための言葉の一行。
音を聴くこと、言葉を紡ぐこと。
どちらも、秩序の中に自分の居場所を見つける行為。
音楽は、世界の形を測るための数学であり、
同時に、人の心を守るための祈りでもある。
数が、感情に秩序を与える。
そして感情が、数に温度を与える。
その交点にこそ、美は生まれる。
それが、わたしたちが“音楽”と呼んでいるものの、本当の姿なのだろう。
美とは、秩序が呼吸するときに生まれる。


